Entame Theater




幸せのお裾分け

 第一話 幸せのお裾分けですか

下にスクロールしてお読みください

*登場する人物・団体名は一部て架空です

1

 今日も大阪の街を大丸タクシーは走る。昭和二七年創業の老舗のタクシー会社である大丸タクシーは、規模こそは中堅クラスだが、長年の固定ファンも多い。一般家庭に限らず、飲食店や企業からの信頼も厚いタクシー会社だ。創業当時から、大丸タクシーは乗務員の質の良さが最大の武器であった。伝統的に乗務員の教育には力を入れていて、「安全」で「安心」と「快適」を提供する創業当時からの精神は今も受け継がれている。旅客運送業でありながらもサービス業のごとく接遇の教育には力を入れている。また、乗務員が働き易い職場作りにも力を入れる経営方針である。

2

 ある晩夏の大阪の市街地。夕方六時を過ぎるというのに、陽射しはビルの影を色濃く落としている。国道二号線の淀川大橋から見える夕陽は、まだまだ大阪湾に沈みそうにない。その淀川大橋を大丸タクシーの営業車が尼崎方面に向かって、お客様を乗せて走っていた。運転席には、入社十年目の乗務員DJが座っている。後部座席には、中之島からご乗車頂いた品のいい感じの年配の女性が座っている。乗務員のDJは、入社十年ともなれば、お客様との距離感も心得たもので、自分からは必要最低限の言葉しか発しない。しかし、逆にお客様から話しかけられると状況に合わせて受け答えする。
 乗客の年配女性はウキウキした様子で話しかけてきた。年配と拝察した見た目よりも、若々しく感じる物言いだった。
 「今日ね、お友達とのお食事会だったの」
 DJはハンドルを握りながら応えた。
「それはそれは、楽しいお時間をお過ごしだったのでしょう」
 年配女性は楽しそうに話を続ける。
「ええ、そうなのよ。それでね、その友人の一人が、娘夫婦からハワイ旅行をプレゼントされたんだって」
「それは、また豪華なプレゼントですね」感心しながらDJは、少しオーバーな表情をしてみせ、チラッとルームミラー越しに年配女性を窺がった。年配女性は話しを続ける。
「娘夫婦と孫たちと一緒に4泊6日ですって」
「いいですねぇ」内心、そんな親孝行ができる娘夫婦に驚いていた。
「その友人も、この歳になって、いい想い出が増えたって泣いて喜んでいたわ」
「そうでしょう。そうでしょう」
「いくつになっても、いい想い出が増えることは、いいことね。気持ちが若返るわ」
「まったく、おっしゃる通りです奥様!」
「その友人から頂いたハワイのお土産なんだけど、私と旦那では食べきれないから、運転手さん、おひとつどうぞ」
 年配女性は、運転席と助手席の間のセンターコンソールの上に、個包装されたクッキーを置いた。
「いいんですか?有難く頂戴いたします」
「幸せのお裾分けよ」
 DJは、センターコンソールに置かれたハワイのクッキーを受け取った。
「ありがとうございます。幸せのお裾分けですか!いい言葉ですね」しみじみと言った。

3

 武庫川を越えると住宅街の方に進路をとる。平日の夕方。住宅街は、人も車もまばらで、走りやすい。幹線道をしばらく走ると、年配女性が思い出したように言った。
「運転手さん、コンビニに寄りたいの。そこで少し待って頂ける?」
 DJは、目の前のコンビニを確認して、年配女性の問いかけに応えた。
「もちろんです。そこのコンビニでよろしいでしょうか?」
 営業車を幹線道路の左側にあるコンビニの駐車場へ入れた。運転席から降りて、営業車の後方を回って左側の後席のドアを開けた。
「いってらっしゃいませ。ここでお待ちいたします。ごゆっくり」
 年配女性は礼を言って車を降り、コンビニの入口へと歩いていく。このあたりのコンビニは、住宅街にあっても駐車場が広々としている。DJは再出発の時に出口から出やすいように、営業車を慎重に方向転回した。

4

 乗客の年配女性が店内に入ると、普段にはない異様な違和感を感じた。違和感の原因は、ATM機の前に立つ同年代ほどの女性が、携帯を握りしめながら機械を操作しているのを目の端で捉えたからだ。そのまま女性のそばを横目で歩く。とても緊張した表情をしていて、汗も掻いて声も震えている。傍から見れば明らかに、詐欺の電話に引っ掛かている最中だと見受けられた。乗客の年配女性は、店内の奥のレジに向かった。
 レジの中には、店員がタブレットを操作しながら在庫確認しているようだ。乗客の年配女性は、レジの中の店員に声を掛けた。
「ATMの前の女性の様子がおかしいわよ。あなた声をかけてあげたら」
 店員もATMの女性を確認した。
「そうですね。ありがとうございます。声をかけてみます」
 こんな場合のマニュアルでもあるのだろう、躊躇なく店員はATMの前にいる女性に近づいた。乗客の年配女性も、店員について歩く。
「お客様。少しよろしいでしょうか」店員が優しく声をかける。
 ATM前の年配女性は、不意の店員の声がけに戸惑いながら応えた。
「いま孫が大変なことになっているんです」
 店員の横に立っていた乗客の年配女性がたまらず声をかけた。
「その電話のお相手はお孫さんでいらっしゃいますか?」
 ATM前の年配女性は焦った表情を浮かべた。
「孫の上司で、孫の仕事上のミスを庇おうとしてくれているの。あと十分で振り込まないと孫が大変なことになるのよ」
 乗客の年配女性は確信した表情で、ゆっくりと言葉にする。
「失礼ですけど、直接お孫さんへ確認されましたか?」
 店員がいるにも関わらず、乗客の年配女性がぐいぐい話を進める。
「まだです。急がないといけないので」
「一本の電話するくらいなら、それほど掛かりませんよ。ここは一度、この電話をお切りになって、お孫さんに確認されたらどうでしょうか」 至極当然の意見だが、実際に詐欺の現場を目の当たりにして、ましてや見ず知らずの赤の他人に、到底言える言葉ではない。
 店員も同意見なのだろう、年配女性の言葉に関心している様子だ。
 店員はすかさず、ATM前の女性に声をかけていく。「お客様、ここは一旦落ち着きませんか」ATM前の年配女性は、ためらいながらも、赤の他人の二人から掛けられた言葉を噛みしめてた。表情が和らいだ。少し落ち着いてきた様子だ。意を決したように、ためらいながら携帯電話に向かって話す。
「一度、孫に話を聞いてから改めさせて……」ここまで声にして、携帯電話を顔から離した。女性は、安堵と戸惑いの入り混じった表情で、乗客の年配女性と店員を見渡した。「先方から切られました」
 店員は「お客様、大変申し訳ございませんが、こういった場合には、警察に一報を入れるようになっておりまして。奥で少しのお時間を頂けませんか」
 乗客の年配女性は、店員にウインクをしてその場を立ち去り、目当ての商品を探しに通路を歩いて行く。

5

 コンビニの駐車場に大丸タクシーの営業車。運転席から、乗務員のDJがコンビニの入り口を見つめている。さっき迄、後部席のドアの脇に立っていたのだが、まだまだお客様が出てきそうにないので一旦運転席に座った。すると入り口から、乗客の年配女性が手にビニール袋を持って出てきた。DJは、運転席から出て、後席のドアを開けながら「お帰りなさいませ」と声をかけた。
「お待たせしました。孫たちが好きなお菓子を買ってたのよ」
 乗客の年配女性は、袋から和菓子を取り出して言った。
「お待たせしたお詫びです」
 DJは首を横に振りながら「いえいえ、とんでもないです。お待ちするのも仕事ですから」
「じゃ、幸せのお裾分けとして受け取ってくれる?」と笑顔で言った。
「幸せのお裾分けですか?」
「そうよ、さっきコンビニで、いいことがあったのよ。コンビニで仲良くなった方から、そのお礼として頂戴したのよ。そのお裾分けよ」
「ありがとうございます。では頂戴いたします。今日、2つ目の幸せのお裾分ですね」
 DJの営業車がコンビニの駐車場を出るのと入れ違いに、自転車にのった警察官がコンビニに入っていく。詐欺電話の報告を受けて事情聴取にやって来たのだ。
 後席に座る乗客の年配女性が、振り込め詐欺を未然に防いだ顛末をDJは知る由もない……。

第一話 終