幸せのお裾分け
第二話 結婚記念日ですか
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*登場する人物・団体名は一部て架空です
1
今日も大阪の街を大丸タクシーの営業車は走る。
少し空気の暑さも和らいだ初秋のころ。陽も高くなった正午前、大丸タクシー乗務員のDJは、大阪駅近くからご乗車頂いた三十代後半と見受けられる女性のお客様を送迎中だ。営業車は信号に引っかかりながら東へと向かっていた。陽が高くなるにつれ、気温も上昇していく。初秋とは言え市街地には残暑が残る。コンクリートに蓄えられた熱が街全体を包み込んでいく。歩道を歩く人たちも薄手の服装が多い。スーツ姿の人たちも上着は片手にぶら下げている。
営業車が扇町通りを東へ走っていく。すると突然、後部座席のお客様のスマホが鳴った。
女性客はスマホを手に取り応える。
「久しぶりじゃない!ええ!大阪へ帰って来たの?」
女性は明るい声で会話をはじめた。いくつかの言葉のやり取りの後、相手に、申し訳なさそうな声で女性客は言う。
「今夜はダメなのよ。先約があるの。旦那と約束があるのよ」
女性客はスマホの向こうの相手に続けた。
「結婚記念日なのよ。それで、眺めのいいレストラン予約してるのよ。子供たち?実家で預かってもらってるわ」
スマホの相手は、この女性客と気心知れた仲なのだろう、話がテンポよく進んでいく。
「まだ、大阪にいるんでしょ?改めて日にちを決めましょう」その後、いくつかの世間話が続いている。
2
信号待ちの間にDJは、出発前に女性から受け取った、行先の地図を改めて確認した。画廊への地図だ。少し入り込んだ市街地の中にある古い画廊だった。
スマホの相手との会話が終わり、こちらを一瞥した女性客は言った。
「運転手さん、その地図で判りますか?そこの画廊は、奥まった場所にあって判りづらいところなのよ」
DJには、覚えのある画廊だったので「大丈夫ですよ。この画廊には行ったことがありますから」
「そうなんですか!よかった」女性客は安心した様子で笑顔を浮かべた。
「結構、通なご趣味の方向けの絵画が多いんですよね、ここ」
DJは、以前に他のお客様から教えて頂いた情報を思い出した。女性客は話しが早い運転手に当たったと喜んだ。
「そうなの。そこに、前から気になっていた風景画があってね、やっと決心がついたの」
「何よりです」DJは相槌を入れた。
「その風景画はね、私と主人との想い出の場所なの」
「ロマンチックですね」と、DJは、とても仲のいいご夫婦なんだろうと感心した。
3
営業車は、幹線道路を外れて、小さいオフィスビルや飲食店が立ち並ぶ入り込んだ道を進む。そこかしこのビルから、ランチに出かける人が出てくる。ちょうどビジネス街のランチタイムと重なったようだ。DJは、歩行者に気を付けながら徐行する。程なく、営業車は指定の画廊の前に到着した。
女性客は、DJに「申し訳ないんだけど、少しここで待って頂けませんか」
「もちろんです。承知いたしました」
「すみません。この辺りは、あまりタクシーが通らないので。助かります」
そうなのだ。ここの画廊は最寄り駅から距離があり、バス停もない交通の便の悪い場所でもある。しかし通好みの品揃えで一定数のコアな客層がついているようで、安定した経営が出来ているようだ。と、以前に送迎したお客様の情報を思い出した。
DJは、このお客様が買い物を終えてからのお帰りが、ひと苦労するだろうなと思っていた。何だったら、お買い物が終わるまで、お待ちしましょうかと、声を掛けようかと思っていた。そこに、女性客からの申し出があったのだ。
「では、ここでお待ちいたします。いってらっしゃいませ」笑みを浮かべて応える。
4
DJは、営業車の後部座席のドアの前で立って女性客を待っている。しばらくして女性が、絵画を手にして画廊から出てきた。
女性客の包装された絵画を確認すると、DJはトランクを開けた。女性客が持っていた絵画を見たDJは、およそ十五号サイズだと読んだ。確か、六十五・二センチメートル×四十五・五センチメートルの大きさだったと記憶している。
女性客は、綺麗に整理されたトランクに絵画を収めた。
その間に、DJは営業車の後部ドアを手で開けた。乗り込んだ女性客は、にこやかに、そして満足げに、DJにお礼を告げた。
「ありがとうございます。わざわざ車の外で待って頂いて申し訳ないです」
「いえいえ、大丸タクシーでは、当たり前のことですから。お目当ての絵画はありましたか」
「ええ、購入できて良かったわ。結婚記念日のプレゼントなのよ」
DJは運転席のシートベルトを締めながら応える。
「結婚記念日ですか。何よりです」絵画を結婚記念日のプレゼントにするなんて、本当に洒落たご夫婦だと思った。
DJは、少しだけ期待していることがある。こんな大きな絵画だったら、ご自宅までの送迎になるのではないか?距離メーターが延びるぞ、ラッキー!と考えている。そんな下心を隠しつつ「では奥様、どちらまでお送りいたしましょう?」と尋ねた。
「そうね。大阪駅でお願いします」
DJの淡い期待も外れたが、残念な気持ちを微塵も見せずにDJは応える。
「畏まりました。大阪駅ですね。では、ルートは……」DJは、ルートの確認をして営業車を走らせた。
5
しばらく営業車を走らせた時に、女性客の言葉が、DJにはとても意外だった。
「でもね、少し残念なお買い物だったのよ。ちょうどサイズの合う気に入った額縁の在庫がなくてね。『画』だけ買ってきたのよ」
さきの画廊で女性客は額縁の無い『画』だけを購入したのだ。気に入ったデザインの額縁の在庫がなかったのだ。せっかくの想い出の場所を描いた絵画だ、せめて気に入ったデザインの額縁に収めたい。気に入った額縁に収めるまで、自分の好みでない額縁に収まっているなんて、絵画にも想い出にも失礼だ。鑑賞した時の感動も半減すると、女性客は思っていた。
「そうでしたか。いつか、画に合ったお気に入りの額が見つかればいいですね」絵画の造詣が浅いDJには、画と額縁とをバラバラに購入するなんてこともあるんだと、DJは納得した。
「そうね。気長に探すことにするわ」
「アートのマッチングは大切ですからね」画と額縁の組み合わせの大切さがイマイチ理解出来ていないが、乗務歴十年ともなるとそれなりに返答ができてしまうものだ。
「本当にそうなのよ。まぁ、そのうち見つかればいいわ」とあっさり淡白に応える。
「何でしたら、額縁の揃えがいい別の画廊を案内しましょうか」DJは、親切心から言った。
「ご親切にどうも。そう急いだ話でもないので、日を改めることにします」
そういう言葉とは裏腹に、近いうちに見つけて、早くこの画を収めようと女性客は考えている。心の中で抱いている理想の額縁を探そうという熱量をDJは知る由もない……。